幼稚園

「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」(ヨハネによる福音書12章24~25節)

自分の命を真に「愛する」とは、自分の命を使うという「捨て方」が出来ること。

園長  佐 藤  直 樹

最近、「コロナウィルスって、よく出来ているなぁ~」と不謹慎な物言いですが、感心せざるを得ないことがあります!なぜなら、全ての人が心と思いを一つにし、皆で感染予防と言う共通善に取り組む姿勢で予防策を実践した時に感染拡大が抑えられたのです。だから、誰一人「無関心」を装う事も、「自分くらいは、やらなくても大丈夫」等の甘えが全く通用せず、「自分がそれをしなければ」防げないのです。そして自分の事ではなく、他者の命を尊重する行動を取った時にも、感染は広がっていません。それが今回、お盆期間中の帰省や外出自粛と言う形を通して、自分の「やりたい・したい」思いや望みを一先ず置いて、他者の命を守る行動をもって現わされました。つまり、コロナウィルス感染が拡大か抑制かについての凄いところは、一人一人の「自分自身の使い方」によると言う事です。

イエス様も永遠の命にまで至る命の在り方を、この福音箇所で語っています。いつも「自分」・「自分の思い・願い」・「自分のしたい事・やりたい事」ばかりにだけ終始し、自分の為だけに自分を使おうとする人は、自分の命を失う事になると……。それよりも、この世で自分自身を使う事によって、自分に死ぬことが出来る人、他者の命に思いを寄せ、それを守るが為に、自分の命すら惜しまず使って奉げられる人が、逆に永遠の命を勝ち取ると……。

このコロナ禍で、それでも「自分のやりたい事」をしようと、そのために自分を使う人もいれば……、だからこそ「自分よりも、他を尊重する事こそが肝要」として、自分を捨てて奉げられる人もいます。

 

園長の悲喜こもごも -  2020. 08.27

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