幼稚園だより
「やさしさ・思いやり・親切な子ども」と言う、スミレ幼稚園が 大切にしている価値に求められるもの。
園 長 佐 藤 直 樹
2月の恒例行事に「節分」があります。本来節分とは「季節」を「分ける」ことを意味しますから、各季節が始まる前日が「節分の日」となります。特に2月の立春は春の始まり、一年の始まりとして、最重要視されたことで「節分」の行事が、今も残るに至りました。昔は「節分」には邪気(鬼)が生じると信じられていたため、その邪気を祓(はら)い、幸福を呼び寄せる上で豆まきや、恵方巻を食べると言う習慣も根付いていきました。
豆まきの際に鬼が登場しますが、鬼と言えば、私は昔話の『泣いた赤鬼』をいつも思い出します。「本当の友だちとは、どういう人のことを言うのか?」を考えさせられる話だからです。真の友とは青鬼が示した行動の価値の中に如実に表れています。そこにあるのは“心配”と“自己贈与”です。心配とは漢字の如く、友の益となることに「心を配る」こと。自己贈与とは、友にとって「善きこととなるなら、自らを省みない」ことです。それだけに、赤鬼が泣いたのは、友がいなくなった喪失感ではなく、友である青鬼が採った行動の真意に触れ涙するのです。
イエス・キリストも、『泣いた赤鬼』の話が生まれるよりも、はるか昔の2000年以上前に「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない(ヨハネ福音書15:13)。」と語っています。
クリスマスとは、「神の子キリストが、人の姿をとって、この世界をお救いになるために誕生したこと」をお祝いする日。
園 長 佐 藤 直 樹
日本のクリスマスでは、街のイルミネーションがとても美しく彩られ、クリスマスツリー等の装飾も華やかなムードを演出してくれています。「現代家庭の年中行事からの報告」でも、年代を問わず、クリスマスを祝う実施率は高い水準にあります。ところが、日本のクリスマスは、お祝いの意味や目的を知らずにお祝いしているケースも多いようで、街のクリスマスに、神様であるイエス様の姿が全く見られません。
年中の「宗教=神さまの話」で、『本当の・本当の・本当のクリスマスには必ず、①.赤ちゃんの
イエス様、②.マリア様、③.ヨセフ様がいるからね!』と言う内容に触れました。それこそ、クリスマスとは上記に掲げた表題をお祝いすることに、本当の意味があるからです。
クリスマス(Christmas)と言う言葉は元々、英語からきた言葉で、Christ(=キリストの)+mas(s)(=ミサ)という意味の造語です。言葉の意味からもクリスマスとは、キリスト誕生の喜びを、カトリック教会の儀式であるミサに与り、祈りの内にお祝いするところにこそあります。0.4%と言うカトリック率しかない日本ですが、クリスマスの意味を理解した中で、「イエス様、おめでとうございます!イエス様の日頃からのご加護に感謝!」の思いを含めて、ご家族・お友だちと過ごす上での喜びとして戴けたら、クリスマス本来の主役であるイエス様も、ご自身を思い起こしてもらえた喜びに与れると思います。
クリスマスに向けた「カード」を、毎年見ながら。
園 長 佐 藤 直 樹
神様であるイエス様の誕生を、お祝いするプレゼントとして、スミレ幼稚園では生活の中で、ささやかながら自分に出来ることを、保護者の皆様と共に考える「カード」があります。毎年、窓に貼ってあるカードを眺め、カードに書いてある内容を読んだときに、クリスマス献金をお奉げする上で、子どもたち自身が「こうする!」と決めた行動実践の思いを、保護者の皆様も、その意向を、しっかり汲んだ対価としての献金につなげていただけたらと心より願っています。それほど尊い価値ある、神様に向けたお子様の決意だからです。
1世紀半ば、キリスト教会も誕生したばかりの、教会全体が未だ困窮状況に見舞われていた折に、聖パウロはコリントと言う町のキリスト信者に対して、エルサレムの教会を助けるべく、どのような心持ちや意向をもって、実際の経済的支援をしていく事が肝要かについて語っています。
「つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。」(コリントの信徒への第二の手紙9:6~7)
皆様のお子様が作る「カード」が、いかに尊いものとして、その行いの実践が寛大に溢れたものであるほど、奉げられるクリスマス献金の大きさにも気づかされます。
小さな「志」の中にある、大きな「心」こもった温もり。
園 長 佐 藤 直 樹
幼稚園と敷地を同じくしているカトリック大和教会では、コロナ禍より食糧支援を実施しており、現在も毎月一回、53家族分の支援を始めてから早や4年目になりました。今年の5月に新型コロナが5類に移行した今も、様々な要因で食糧に困窮する家庭が、自分たちの足元にいる現実から目を背けることは出来ません。
支援のために、東京のカトリック学校の学生たちも、毎年12月には「自分たちが授業を受けている神父様の教会を助けたい…」と、学校を挙げて食料品を集めています。こうした外部の支援と共に、毎月なり毎週、必ず『お米2合』や『パスタ1袋』等の小さな志と支援を、この3年余り、欠かす事なく・確実にやって下さる大勢の方々がいることで、今も支援が続けられています。
支援一つを取っても、小さなところに大きなエネルギーが満ち溢れていることに気づかされます。11月からスミレ幼稚園でも、クリスマスに向けて様々な行事や活動を行っていきますが、キリスト教の精神でも、何より大切なのは「心」ある・「心」を込めた行動です。スミレ幼稚園が大切にしている「思いやり」・「やさしさ」・「親切」という温もりを日々の幼稚園生活から感じられるのも、子どもたち自身がお友だちや先生方に示す助けの手・支え・協力する姿勢・温かい声かけ等、小さな行いの実践からです。
お友だち(関係)から知る「わが子の理解」
園長 佐藤 直樹
私自身、カタカナや平仮名を覚えるために、夢中になって読んでいたのが『ウルトラ怪獣百科』でした。お陰様で今でも仮名文字だけでなく、初代ウルトラマンやウルトラセブンと戦った怪獣・星人の名前や顔・特徴等を忘れていないので、「この怪獣(星人)、何?」と写真を見せられても、「〇〇〇だよね」と普通に答えられます!幼い時に記憶したことや、理解の仕方のノウハウの影響は未だに大きいことを実感させられます。特に人について理解し、認知するノウハウの中で大切だったことは、単に人の名前と顔を覚えることではなく、交友関係(=人と関わること)を作り上げていく上で、その“人となり”を知る上で活かされてきたこと。また両親も子どもとの対話の中で、友達の名前やお友達の話題を通して、人を認知する力や、お友だちとの関わりの中で、本人が、どのように行動し、振舞っているのかを、子どもの近況を含めて伺い知れたのだと思います。
「○○君は、○○することが好きだよ(=友達の好きなことについての情報理解)」「○○ちゃん、先生のこんなお手伝いを、よくしてるよ(=友達の善い行動を認識する力)」「〇〇君は〇〇について、色んなことを知っていて、すごいね(=友達の特性理解)」「僕は、〇〇君○○ちゃんと今、こんな遊びをしているよ(=子どもの交遊関係と現況理解)」「明日、〇〇ちゃんが、僕に〇〇してくれるんだ(=友達のやさしさに触れる理解)」など、お友だち理解・人を認知する力・その人の特徴や特性を掴むこと・お友だちの行動に感化されることが、いかにお子様の成長につながるかを踏まえると、子ども自身のお友だち理解から、ご子息の理解も進めるかもしれません。