幼稚園だより
「端午の節句」から「徳の花」について思う
園長 佐藤 直樹
「端午の節句」は、中国から日本に伝来した風習が元になっています。年に五回ある節句(五節句)には邪気が近づきやすいとされ、邪気を祓う上で、神様に無病息災を祈念し、お供えをしていました。「端午」とは、「初めの午(うま)の日」の意味で、「節句」は季節の変わり目のことです。午(うま)は、五(ご)とも読めることから、5月5日が「端午の節句」として、奈良時代以降に定着しました。そして、1948年に5月5日を「こどもの日」と定めたことで、男女問わず子どもたちの幸福を願い、親への感謝を込めた祝日としました。
日本では古来より節句の際に“邪気を祓う”ことを慣例としたならば、キリスト教の世界では逆に“徳を積む”ことの方を慣例としてきました。また世界中で五月に「母の日」をお祝いするように、キリスト教は五月を「聖母マリアの月」としています。
スミレ幼稚園でも、マリア祭に向けて「徳の花」の実践を毎年、行っています。日頃から“やさしい心”を持つ徳や、人に“親切”をする徳、いつも“思いやり”をもって関わる徳を生活の中に習慣化していく上で、徳が積めたことを、子ども自身がはっきり意識することが大切です。ご家庭に配布される「徳の花」のシートに色を塗る意味は、そこにあります。幼稚園では、「徳の花シール」を貼っていきます。徳を積むこの機会に、子どもたちの心がますます健やかに育っていくこと(=「端午の節句」を祝う目的)を願いながら……
「心」を育てることが何よりのこと!
園長 佐藤 直樹
私事で恐縮ですが、スミレ幼稚園の園長になって早や五年目の年度に入りました。スミレに来た当初は、新型コロナウィルス第一波の真っ盛りで、二か月の休園措置を採ったところから始まりその年に生まれた子どもたちが、今年度に新年少として、スミレ幼稚園に入園すると言う経過を振り返った際には、しみじみとさせられるものがあります。
四年の歳月を経た中で、幼稚園で過ごす三年間に、「子どもの成長」に欠かせないと実感していることがあります。それは、子どもが身につけていく「能力」や「技術」を習得することも、様々な「力」を付けていくことも、そして「生活習慣や人間関係」を会得すること等、全ては「心」が育っているかどうかが肝要です。つまり「心掛け」「心持ち」「心の在り様」「心の状態」が良くなければ、身につくものも身につかないケースが多々です。例えば、「我がままな状態とは、自分だけに凝り固まっているので、心が開かれていない分、実際に耳でも聞いていない」ので、良い話・正しい言い分も効き目はゼロです。大人である私たちも、どんな心でいる時に、どんな聞き方をしているかは一目瞭然ですね。それだけに、良い心の状態として、「やさしい心」・「親切な心」・「思いやりのある心」でいられる子どもの姿勢が、聞く耳のあるなしも含め、物事への取り組み方や成長の度合いにも繋がっていくと思います。
それだけに、スミレ幼稚園はキリスト教を通して「心の教育」をこそ大切にするのです。
三色「菱餅」の色に見る、成長のポイント
園長 佐 藤 直 樹
3月3日「桃の節句」に、女の子の健やかな成長と幸せを願う「ひな祭り」の起源は、古代中国の「上巳(じょうし)節」と言われています。その際、川で身を清め邪気を祓(はら)ってからの宴でお祝いしましたが、日本に伝わると人形に穢(けが)れを移して水に流す「人形(ひとがた)流し」「流し雛」という形へと変化します。更に平安時代の貴族の子どもたちが“人形を用いたおままごと(=ひいな遊び)”を組み合わせたことで、今のような形へとなっていきます。そして今のように、ひな人形を美しく飾るようになったのは江戸時代頃と言われています。
「ひな祭り」の食べ物に、赤(桃)・白・緑3色の菱形のお餅を重ねた「菱餅」があります。意味には諸説ありますが、①赤(桃):桃の花➡魔除け、②白:雪➡清浄、③緑:草や芽吹き➡健康、それぞれの意味が込められていると言われ、この3色を通して、白い雪の中から、緑の木々が芽吹き、桃の花が咲く春の訪れのイメージともつながっています。
春の新しき年度を迎える上で、いよいよ実りの年度末です。子どもの成長の中に、①赤:わがままという魔に負けない心、②白:素直で誠実に取り組む清い心、③緑:周りに思いやりある健やかな心につながった一年の幼稚園生活だったことを願いながら……。
お誕生会時に「園長先生の祝福」で、白のストラを司祭として掛けますが、実はあのストラの色の(計4色ある)内、3色は菱餅の色と同じ色です。
「やさしさ・思いやり・親切な子ども」と言う、スミレ幼稚園が 大切にしている価値に求められるもの。
園 長 佐 藤 直 樹
2月の恒例行事に「節分」があります。本来節分とは「季節」を「分ける」ことを意味しますから、各季節が始まる前日が「節分の日」となります。特に2月の立春は春の始まり、一年の始まりとして、最重要視されたことで「節分」の行事が、今も残るに至りました。昔は「節分」には邪気(鬼)が生じると信じられていたため、その邪気を祓(はら)い、幸福を呼び寄せる上で豆まきや、恵方巻を食べると言う習慣も根付いていきました。
豆まきの際に鬼が登場しますが、鬼と言えば、私は昔話の『泣いた赤鬼』をいつも思い出します。「本当の友だちとは、どういう人のことを言うのか?」を考えさせられる話だからです。真の友とは青鬼が示した行動の価値の中に如実に表れています。そこにあるのは“心配”と“自己贈与”です。心配とは漢字の如く、友の益となることに「心を配る」こと。自己贈与とは、友にとって「善きこととなるなら、自らを省みない」ことです。それだけに、赤鬼が泣いたのは、友がいなくなった喪失感ではなく、友である青鬼が採った行動の真意に触れ涙するのです。
イエス・キリストも、『泣いた赤鬼』の話が生まれるよりも、はるか昔の2000年以上前に「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない(ヨハネ福音書15:13)。」と語っています。
クリスマスとは、「神の子キリストが、人の姿をとって、この世界をお救いになるために誕生したこと」をお祝いする日。
園 長 佐 藤 直 樹
日本のクリスマスでは、街のイルミネーションがとても美しく彩られ、クリスマスツリー等の装飾も華やかなムードを演出してくれています。「現代家庭の年中行事からの報告」でも、年代を問わず、クリスマスを祝う実施率は高い水準にあります。ところが、日本のクリスマスは、お祝いの意味や目的を知らずにお祝いしているケースも多いようで、街のクリスマスに、神様であるイエス様の姿が全く見られません。
年中の「宗教=神さまの話」で、『本当の・本当の・本当のクリスマスには必ず、①.赤ちゃんの
イエス様、②.マリア様、③.ヨセフ様がいるからね!』と言う内容に触れました。それこそ、クリスマスとは上記に掲げた表題をお祝いすることに、本当の意味があるからです。
クリスマス(Christmas)と言う言葉は元々、英語からきた言葉で、Christ(=キリストの)+mas(s)(=ミサ)という意味の造語です。言葉の意味からもクリスマスとは、キリスト誕生の喜びを、カトリック教会の儀式であるミサに与り、祈りの内にお祝いするところにこそあります。0.4%と言うカトリック率しかない日本ですが、クリスマスの意味を理解した中で、「イエス様、おめでとうございます!イエス様の日頃からのご加護に感謝!」の思いを含めて、ご家族・お友だちと過ごす上での喜びとして戴けたら、クリスマス本来の主役であるイエス様も、ご自身を思い起こしてもらえた喜びに与れると思います。