スミレ幼稚園
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幼稚園だより

悪を持って悪に、侮辱を持って侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。(1ペトロ3,9)

いま最も気になる言葉は、「中国」「武漢」「コロナウイルス」ですね。「人から人にうつらない。あまり気にしすぎることはない。」と言われていましたが、「武漢」に行ったことのない日本人がコロナウイルスに感染したとのニュースが入り、事態が深刻化して参りました。武漢からの旅行客が沢山日本に来ており、観光地や旅館や空港・駅・店・食堂など至る所歩き回っていることがわかります。そうすれば、知らないうちにどれほどの人びとと接していたか計り知れないものがあります。

人のうわさ、悪口を言いふらすおしゃべり女がいました。村の神父さんがそのおしゃべり女に言います。風の吹く日でした。「ニワトリ一匹分の毛を集め裏山の頂から、まき散らしなさい。」戻ってきた女に、「それではまき散らした毛をもう一度全部集めなさい。」「神父さん。そりゃー無理ですよ。こんな風の日にどうやって毛を集めるというのですか」「おわかりですか。あなたが言いふらした、人の悪口はもう取り返しはつかないのです。」こんな話を思い出しました。

ウイルスの話は怖いですが、発熱したり発症したりします。コロナウイルスかどうかも特殊顕微鏡などで確認できます。感染ルートもある程度追跡できます。しかし、言いふらされた良くない人の情報・うわさは顕微鏡では確認できず、言われたその人の悪いうわさはずっと残り、取り消すことは不可能です。

人の悪口を言わない人は本当に素晴らしいひとです。滅多にあったことがありませんが。

聖書の中には「祝福」と言う言葉が良く出てきます。Benedicare(祝福)ですが、Bene-dicareの合成語です。Beneは「良い」Dicare は「言う」という意味です。人のことを「良く言う」と言うことでしょうか。「悪をもって悪を 侮辱をもって侮辱に報いることでなく、かえって「祝福」つまり「人のことを、良く言うこと」をしなさいと言っています。

「悪口」 「ヘイトスピーチ」 「憎しみに満ちた言葉」で蔓延しているこの世界にありながら「祝福」を伝染して回れるとしたらどんなに素晴らしいことでしょうか。

園長 鈴木正夫

 

 
カテゴリー:聖書のおことば - 2020-02-05

神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。(創世記1-3)

新年明けまして,おめでとうございます。年のはじめにあたり,今年も明るく,良い年となるよう祈りたいです。

ポピュリズムと言われるこの頃です。そのとき,そのときの人びとの要求に応える人気の政治家が現れ,かなり極端な政治手法でも人びとに選ばれたことをテコに「自分は大衆に選ばれた人間ゆえ」大衆の喜ぶことを発言し,自分を応援する人の利益となることを実現するのです。表向き正しそうに見えますが、これが問題になっています。ある特定の方々には,即反応があるのでよろこばれますが。その持続可能な国全体の利益、あるいは世界規模での利益が損なわれてしまうことになっているからです。例えばアマゾン地方での開発は地球規模で神経をつかって欲しい場所ですが,現地の産業を活発化させるため、一度伐採されれば50年以上100年は回復に時間が掛かる熱帯雨林をどんどん切り開いています。基本的にはどの国々も目先の利益(国益)優先のため自己主張の強い発言をして,暗い状態です。

16歳のグレタ・トウンベルトさんが地球の未来のため、CO2削減を訴えているのが救いです。COP25が閉幕されたばかりで,やはり自己主張の強いCO2排出国の主張によって以前パリ協定で決められたことからも後退してしまっています。同じ地球に住む人類の未来は国を超えて協力するしかありません。地球の存亡に関わる問題を若い人びとが一番気にしています。

旧約聖書の最初に世界創造の物語があります。聖書によれば「地は混沌であって,闇が深淵の面にあり。神の霊が水の面を動いていた」とあります。「神は言われた。【光あれ】こうして光があった。」 混沌状態になっている世界の人びとの心にもう一度神様に言ってもらいたい【光あれ】と。

園長 鈴木正夫

 
カテゴリー:聖書のおことば - 2019-12-26

「闇の中を歩む民は 大いなる光を見た」(イザヤ9,1)

38年ぶりにフランシスコローマ教皇が日本を訪れました。東京ドームには5万人近くの人が集まったようで,わたしもその中のひとりとして参加しました。長らく待たされ,やっと教皇が会場に入られるときの大きな歓声は、やはり臨場感に満ちた大変心に残るものとなりました。

26日、離日前に「偽りや欺瞞が少なくないこの時代に必要とされる誠実さを持ち、まずしい人や隅に追いやられた人とともに歩むように」と上智大学で若者に語りかけています。「誠実さ」は嘘や,見せかけの蔓延する現代社会に慣れっこになって無批判に生きることでなく、特に若い世代が「嘘は嘘」「本当のことは本当のこと」と見破り,本来の正しさにものごとを引き戻す生き方をしてほしいと語りかけておられるのでしょう。

「闇の中を歩む民は,大いなる光を見た」と言う聖書の言葉はクリスマスに良く引用される箇所です。「死の陰の地に住む者の上に,光が輝いた」と言葉が続いています。「闇」とか「死の陰に住む人」とは人のことが無視されがちな現代の私たちにも当てはまります。自分も人らしい扱いを受け、人として誇りを持って生きていきたいように,立場の良くない「貧しい人、隅に追いやられがちな人、つまり聖書で言っている「死の陰の地に住む者」ですが、かれらも同じように認められ,尊重されることが求められています。

クリスマスは「この世に神様の子がお生まれになったこと」を「光の到来」として喜ぶお祝いの日です。聖書によれば、地元の人びとはそれに気づかず,遠くの人(三人の博士)が夜空にひかる星を頼りにやってくると言うストーリーになっています。

今年も子どもたちは聖劇で 天使・お星様・羊さん・宿屋さん・兵隊さんなどの役割を演じることでしょう。今はこのような物語の意味を十分理解できないでしょう。しかしこれから大人として成長していく過程の中で、この世の暗闇の現実をいやと言うほど味わうことでしょう。本当に「大いなる光」がほしいときが来るでしょう。そのような時この物語を思い出してほしい。

園長 鈴木正夫
カテゴリー:聖書のおことば - 2019-12-03

「土はひとりでに実をむすばせる」(マタイ4,28)

勘違いしていました。台風15号が首都圏を襲い、特に千葉県方面では送電線の鉄塔が倒され、ゴルフ場の鉄骨が倒され、とにかく大変な災害が起こったりして、びっくりしていたところでした。ところが10月も終わりに来て、今度は台風21号の影響で、また同じ千葉県では半日で一ヶ月分の量の雨が降り、氾濫や土砂崩れで4名が死亡したと言うことです。ついその前の19号ではたくさんの河川の氾濫があり死者多数、家屋浸水、新幹線水没の話しがあったばかりです。もうこのような事は同じ地区ではしばらくは起こらないだろうと思っていました。めったやたらとそのような大きな災害は身近には起こるものではないと思っていたことです。

10月21日、延期になっていたお芋掘りがありました。いつもの畑まで歩いて行きました。今年も掘りやすいように綺麗に茎や葉の部分が取り去られ、長い畝があらわになっていて、一人二株ずつ掘れるよう準備してありました。“ちゅうりっぷ”さん、“たんぽぽ”さんにつきあいましたが、どこからはじめて良いかわからない子ばかり、ここを掘るんだよ、ほら、こうやって、赤い芋が少し見えるまで掘ってあげます。次の子にも同じように。手が汚れるのか、それから先を続けることができない子がほとんどでした。「そもそも(お芋掘り)って、こうゆう事なのね」と本人にわからせるのにかなり時間が掛かるものです。自然と向き合う最初の手ほどきと言って良いでしょう。いずれ、芋を掘るためには人が種付けをし、雑草を取り除き、かなり時間をかけ、太陽の光(光合成)があり、雨が降ったり、かんかん照りに合ったりして厳しい自然の掟の中で育たないとならないことをわかるときが来るのでしょう。それでも誇らしげに「とったぞー」と喜ぶ姿が印象的です。

聖書のたとえ話の中に「天の国は」というお話があります。「神様の本来のお望みは」と理解できます。「人が土に種をまいて、よるひる寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実をむすばせる。」とあります。気候変動のことはともかく、人の心はもともと神の思いを実現するようつくられていて、特別教えたわけではないのに、人は素晴らしい神対応するものでもあります。悪いことばかりを悲観しなくても良いのかも知れない。

園長 鈴木正夫
カテゴリー:聖書のおことば - 2019-11-01

取って食べるなと命じた木から食べたのか(創世記2-11)

気候変動なのか方々で豪雨になったり、土砂崩れが起こったりしています。普通の夏という言葉も意味をなさなくなっています。毎夏普通でないからです。今年はなかなか梅雨が明けず雨ばかりの7月、子どもたちの「お水遊び」ができる日が圧倒的に少なかったのを思い出しています。

豪雨や熱射病の話題は基本的には自然災害で、昔はどうにもならないものとあきらめていましたが、地球規模で語られるようになり、CO2の増加をもたらした人間の責任、つまり人災と思えるようにもなりました。自然環境は人類に任された神様からの贈り物ですが、人間は十分に配慮しなかった事になります。ブラジルのアマゾンの熱帯雨林は「地球の肺」と呼ばれています。ブラジルのトランプと言われる大統領は、火災になった今森林地帯の火消しを軍隊に命じ、自分も森林を大切にする人間であるかのように振る舞っています。彼の説明では、「すでに伐採してしまった不要な樹木を方々で人びとが焼却処分していて火事になった」と。伐採を容認し、目先の産業開発を進めている彼のお粗末な言い分でもある。

人が神の言いつけに背き、罪を犯したときの話しが、聖書の初めの方に書かれています。人間は何をしても良いが、神のために残しておかなければならない木の実がある。それだけは残しておくように言われている。しかし人間は無視し、神の領域を侵してしまう話しです。「おまえが裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」自分が裸であることに気づき、神の前から隠れる人間の姿が物語られています。大自然そのものを根こそぎ破壊することは人類の滅亡を意味しています。もう取り戻すことのできない最終ラインのところまで来ているような気がします。

 
カテゴリー:聖書のおことば - 2019-08-30
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