幼稚園だより
ばら組クラスだより 9/30
【10月のねらい】・行事に向けて期待をもって過ごし、自分の力を出せるようになる。
【主な活動】・運動会練習・おさんぽ・壁面製作・課題画
6月からの1学期の最後の日に、デイキャンプを無事に終えることができて感謝しています。短い時間で、感染予防をしながら子ども達はとても楽しく過ごせたようでした。そして9月になり2学期が始まり、子ども達の元気な姿がまた戻ってきました。夏休み、家族と過ごした楽しい時間が力となり、心も身体も大きくなったと感じています。引き続きの感染予防をしながらの取り組みに、子ども達は少し慣れてきた様子の中、運動会の練習も天気が悪く外でできない日は、ホールや部屋で練習をしたりしています。毎日やってきた練習が力になり、運動会でみんなと一緒に取り組み、頑張る気持ちが持てるようになってきました。楽しみにしていてください。
新しく友達が増えてばらぐみは30名になりました。年少の1学期は在園していたので、久しぶりの再会にみんなうれしそうでした。友達と関わることが楽しいと思えるような経験を積んでいって欲しいです。
- LaQ(ラキュー)でこんな作品ができました。
- ふたりはばら組の昆虫博士
- 新しいお友達と📸
ひまわり組クラスだより 9/30
【10月のねらい】・行事に向けて期待をもって過ごし、自分の力を出せるようになる。
【主な活動】・運動会練習 ・お散歩 ・壁面製作 ・課題画
あっという間に夏休みが終わり、2学期がスタートしました。こんがり日焼けをした子も多く、夏休み中にみんなが元気に過ごせていたようでほっとしました♡
子ども達が楽しみにしていたお茶ごっこが始まりました。普段とは違う畳の雰囲気に少し緊張している子もいましたが、お茶ごっこの青野先生の話を真剣に聞きながら、最後まで正座で頑張っていました!「真・行・草」のお辞儀を教えてもらい、丁寧なお辞儀ができるようになりました。お抹茶の味は…「に、にがい…(笑)」少し大人の味だったようです(笑)
運動会の練習も本格的に始まりました。1学期にメロディオンが出来なかったため、今年は音楽に合わせて打楽器などを使って鼓笛をやります。みんなで合わせる、ということの難しさを感じているようですが、それぞれが自分のパートを覚えて練習を頑張っています。皆さんに元気をお届けする応援歌です★お楽しみに!
組立体操の一人技、跳び箱の練習では内藤先生の発令をよく聞き、必死についていく真剣な子ども達の表情に、練習からうるっとしてしまいました。
年長だからこそできる競技に子ども達も気合が入っています!そして一人ひとりが一生懸命練習に取り組んでいます!例年通りとはいかない運動会ですが、ご理解、ご協力をよろしくお願いします。
季節の変わり目で少しずつ肌寒くなってきました。引き続き体調管理に気を付けて過ごしましょう。
- ひまわり組ぶどう畑(壁面製作)
- 「巨峰が好き」 「デラウェア美味しいよね♪」と製作しながら盛り上がりました!
- 懐かしいパラバルーン! 年中さんの練習に飛び入り参加★
- 製作帳「タピオカミルクティー」 おしゃれに作れました♡笑
「誠実さ」…それが、一番大事!
五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』 主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』(マタイ25章20節~23節)
園長 佐藤直樹
この福音の箇所は、通常「タラントン(=イエス様の時代の通貨単位)の喩え話」として語られている話の一部分を抜粋しました。五タラントン・二タラントン・一タラントンを三人の僕たちは各々、主人から預かり、預かったタラントンについての報告をした場面です。
『宗教』の授業で、この喩え話を学生たちにする度ごとに必ずこの質問を投げかけます。「キリスト教の神様って、あなたの人生の何をご覧になるか分かる?」って……。多くの日本人は閻魔大王のイメージが強いようで「どれくらい善いことをしたのか?どれくらい悪いことをしたのか?を見て、善いことをした人は極楽往生が出来、悪いことをした人は地獄に行く」と言う因果応報的なニュアンスの答えがとても多い印象に見受けられます。
キリスト教の神様がご覧になるのは、いかに「善いことをした・悪いことをした」ではなく“忠実さ”です。いかに自分が戴いたものに対して「誠実」であるかをご覧になることが、上記の福音箇所の主人の言葉からも理解できます。私たちが神様から戴いたタラントン(=贈り物)とは、いのち、人生、才能、家族や友人、仕事や余暇、身体や健康、時間や機会、お金や財産、成功や失敗・挫折、喜びや悲しみ、楽しみや苦しみ、約束や誓いなど、与えられた環境や様々な出来事も含め、全ては神様から戴いて、私自身が預かったタラントンです!神様の視点は、私の戴いたものに対する忠実さ…誠実さが求められています。それだけに、スミレ幼稚園の姿勢や見方も、それが「善いか・悪いか」ではなく、「それが誠実なのか否か」でもあると思っています。
モンテッソーリだより~ 感じながら学ぶ ~ 2020. 9.30
幼児期は 「見る・聴く・触れる・嗅ぐ・味わう」 などの感覚(五感)が、最も発達する大切な時期です。 感覚の発達は、知的活動の基礎となります。 十分に感覚を使っておくと、目で見なくても頭の中でいろいろなことをイメージできるようになります。 自然の中で、水や土・砂、風、石ころ、花、虫・・・いろいろなものに触れて、いっぱい感動して、感性の豊かな人に成長してほしいですね♪
子どもが発見したり感動して喜んでいる時、大人も一緒に喜んであげると、子どもは自己肯定感を高め、自信を持って自分らしく生きていく力をつけていくでしょう。
- せんたく「ゴシゴシ、おもしろい♪」
- わつなぎ「トンネルして・・」
- ぬいさし「出てきたとなり♪」
- 3本あみ「順番におるよ」
- 赤い棒「長いけど、持てるよ」
- みんなでピンクタワー「大きいのからね!」
- はめこみ円柱「音がしないように」
- 10進法「1000はこれ!」
- 100のくさり(1から100)
- セガン板(数の構成)
モンテッソーリの感覚教育
子どもは五感(視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚)を使って、まわりの世界を吸収していきます。
感覚教具は、子どもが今まで経験してきたことを秩序づけ、大きい・小さい、高い・低い、長い・短い、重い・軽い、などの抽象概念を作りあげます。
教具を何度もくり返すことで、深く集中し、確実に身につけることができます。 また、言語・算数教育の基礎 ・ 論理的思考力を養います。
教具~ ピンクタワー(大きさ)・茶色の階段(太さ)・赤い棒(長さ)・はめこみ円柱(大小・高低・太細)・重量板(重さ)・色板Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ(色彩感覚)・二項式・三項式の箱(立方体の構成)etc.
- はめこみ円柱
★モンテッソーリ教育は、ただ自由に好きなことをさせる教育ではありません。
「使ったものを元に戻す」(次の人のために)・「順番を待つ」(教具は1つずつしかありません)・「他の人のじゃまをしない」など、社会のルールが身につくように、くり返し伝えています。 特に『待つこと』は大切な教育です。
子ども達が自分で考えて行動できるように、「どうしたらいいかな?」と声をかけています。
みんな、一生懸命考えて、がんばっています(^^♪
「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」(ヨハネによる福音書12章24~25節)
自分の命を真に「愛する」とは、自分の命を使うという「捨て方」が出来ること。
園長 佐 藤 直 樹
最近、「コロナウィルスって、よく出来ているなぁ~」と不謹慎な物言いですが、感心せざるを得ないことがあります!なぜなら、全ての人が心と思いを一つにし、皆で感染予防と言う共通善に取り組む姿勢で予防策を実践した時に感染拡大が抑えられたのです。だから、誰一人「無関心」を装う事も、「自分くらいは、やらなくても大丈夫」等の甘えが全く通用せず、「自分がそれをしなければ」防げないのです。そして自分の事ではなく、他者の命を尊重する行動を取った時にも、感染は広がっていません。それが今回、お盆期間中の帰省や外出自粛と言う形を通して、自分の「やりたい・したい」思いや望みを一先ず置いて、他者の命を守る行動をもって現わされました。つまり、コロナウィルス感染が拡大か抑制かについての凄いところは、一人一人の「自分自身の使い方」によると言う事です。
イエス様も永遠の命にまで至る命の在り方を、この福音箇所で語っています。いつも「自分」・「自分の思い・願い」・「自分のしたい事・やりたい事」ばかりにだけ終始し、自分の為だけに自分を使おうとする人は、自分の命を失う事になると……。それよりも、この世で自分自身を使う事によって、自分に死ぬことが出来る人、他者の命に思いを寄せ、それを守るが為に、自分の命すら惜しまず使って奉げられる人が、逆に永遠の命を勝ち取ると……。
このコロナ禍で、それでも「自分のやりたい事」をしようと、そのために自分を使う人もいれば……、だからこそ「自分よりも、他を尊重する事こそが肝要」として、自分を捨てて奉げられる人もいます。